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福祉について・・・・・車椅子とプール [福祉]

h-naitoさんの画像HONDAは羽がトレードマークですね。天使の翼でしょうか?

今年の私の、大きな人生のテーマに『介助』があります。

これは、練馬区立の福祉園{知的障害者のための来所施設・昼間通園して来て、様々なアクティビティーをして過ごし、夕方また自宅へ福祉バスで帰っていく・一種の学校か、デイサービス施設の類}での、介助作業ボランティアに参加することです。http://www.city.nerima.tokyo.jp/guide/tetsuduki_syosai.php?id=00692&rf=t&t=5613

私の自由時間の中から、週に1~2日分を、この仕事にあてようと決意しました。

それは、今までの自分を振り返って、あまりにも我がままに、好き勝手なことをやって来たから、

その反省と懺悔の意味で・・・・・・・・というよりは、まったく異なる価値観と、時間の流れの中で、

もう一度、自分の人生の意味を、考えてみようと思ったからです。

http://zetto32.hp.infoseek.co.jp/index.html

若いころから、出家してみようと思う事がありました。

厭世感や逃避行なのかも知れませんが、物質欲の充満した競争社会に、特に雑誌社という情報戦争の最先端に、長い時間居たせいもありますが、

静かな時を、読経と清掃と托鉢と、坐禅の中で暮らしてみたいと思っていました。

その原点は、この時に立ち戻ります。

18歳の春に、受験に失敗した傷心を抱えて、北陸・能登・金沢に旅をしました。

目的地は早春(3月5日)の永平寺宿坊でした。<実際は雪がちらつく程度でしたが>

http://www.mitene.or.jp/~katumin/index.html

http://syukubo.com/spot/02kousinetsu/fukui002.html

ここで、同年齢の若い修行僧たちと出会ったのです。

その時の驚きと、新発見に胸が高鳴ったことが、今でも鮮明に思い出されます。

たかが受験に失敗したぐらいで、人生の一大事、もうお先真っ暗・・・・・そんな被害者意識でしたから。

生き生きと、自然と対峙しながら、己の宿命を受け入れて、世襲の道を選んだ若者たちの、

何と気高く、崇高な瞳だったことでしょうか?

その時から、いつか自分も、どこかで人生の清算をしなければならない時が来たら、仏門をくぐろうと思っていたのかも知れません。

たった3日間ですが、宿坊で疑似 僧侶 体験をしました。

午前3時の勤行・坐禅から始まり、一汁一菜の精進料理と、無言の行に耐え、ひたすら己の内面と向き合うのです。

そこで得たことが、何だったのか?

今の私に、どれほどの成長をもたらしてくれたのか、結果はまだ先になるのでしょう。

しかし、心の原点、原風景が私の深層意識の中に出来上がったのは、間違いのないことです。

そんな青春の感傷から40年近い歳月を過ぎて、ふと、立ち止まることができました。

長いサラリーマン生活から離れて、自由業になったからです。

カレンダーの赤い丸が、何の意味も持たなくなり、月末になってもお金が増えない(サラリーが無い)生活になりました。

まさに、『自分が人生の主人公』となったのです。

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★立処皆真(りっしょみなしんなり)
   大本山天龍寺塔頭 宝厳院住職          田原 義宣師

 この句は、臨済宗の宗祖である、臨済義玄禅師(867寂)が修行中の雲水
(修行僧)に云われた言葉である。

『随所に主と作れば、立つ処皆真なり』

 意は『いつでも、いかなる状況下にいても、自分自身を信じて主人公になれ
ば、自分が居るところは全て真実が伴う』。この『主』とは確立された主体性
自分自身のこと、主人公即ち貴賎、貧富、迷悟等の対立観念を超越して、何者
にも執着しない真の解脱者をいう。

 自分が置かれた場所で、一瞬一瞬、自分を出し切る事が出来れば、それは実
は立派な生き方である。生活が単純で仕事が面白くないなどと思わなくなる。
しかし、自分をその時、その場において出し切れないと不満が残り、仕事も次
第にイヤになっていく。

 よく『自分自身を信じて、主体性を持って』と言われるが、この時の主体性
とは考え方や思想、態度をしっかりと確立せよというではなく、『いま、その
場にあって自分自身を出す』ことである。

 その場で精一杯のことをやってみることである。考え方や思想が先に立つと
行動がとれなくなる。そのようなことは後から付いてくるものである。自分を
今、その場に惜しみなく出し切って動く態度が必要である。主体性は誰にでも
ある。外から身につけていくものではない。

 よく会社のために働くといわれる人がいるが、そうではなく自分を活かし、
自分自身の主体性を確立することが、すなわち会社のためになるのである。そ
こに存在感だけでなく、価値観をも現すことが出来る。

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ちょっと言葉の意味が、国語的解釈とは異なりますが、自分をむき出しにして、全身全霊をその場で出し尽くせ!というような意味でしょうか?

 

介助といっても、一緒にプールに入り、楽しく水遊びをさせるという内容です。

結構、私も楽しんでいることがあります。

彼らは、一様に、きれいな瞳をしています。

覗き込むと、こちらが恥ずかしくなるような、澄んだ瞳です。

私が差し伸べた手を、初めはおずおずと、やがて信頼感を感じる、ハッキリとした握り返しへと変わっていきます。

福祉園の職員の皆さんは、そんな時こそ心が通じる瞬間だ、と言っています。

まだそこまでの確信は、私にはありませんが、お役に立てる幸せを、十分に感じ取ることができます。

純粋であることが難しい、今の世の中ですから、少しでも汚れないように、生きていきたいと願っています。

 

もう5年前になりますが、次女とタンデムで北海道を旅しました。http://www.crete.co.jp/tandem-s/contents/contents.html

2,000km、10日間。バイクで二人乗りをしました。

インカムでヘルメットをつないで、会話が自由でしたから、色々話ができました。

前後に座るという位置関係もあって、瞳を見ながらではありませんが、

表情を想像しながら、電話で話すような妙な気分でした。

一生心に残る思い出ができました。

十分な親孝行をしてくれたと、すでに満腹気分な、オヤジ心であります。


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